旭川医科大学 外科 旧第一外科・第二外科

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心臓外科

心臓外科について

心臓外科は基本的には機能再建外科であり、術前のプラン通りに手術が進めばたいていの場合、患者さんは元気になり、我々は非常に感謝されることになります。しかし、手術後すべての患者さんが元気になるわけでは残念ながら必ずしもありません。”たいていの場合”と書きましたが、手術がうまく機能しない原因として大きく分けて次の3つの要因が挙げられます。(1)術前評価・手術適応の問題、(2)手術手技上の問題、そして(3)術後管理の問題です。

先人の知見の積み重ねの結果として、今日では様々なガイドラインがあり、術前評価の参考となります。また、リスク評価のツールとしては心臓外科領域ではEuroSCOREやSTS-Scoreがあり、また最近では日本独自のデータベースからJapan-Scoreなども発表されました。しかしながら、それらは参考にしかなりません。どのような手術をそのようなタイミングで行うかは、最終的には患者個々人に応じて判断するよりありません。もっとも、たとえば70歳代の特に合併疾患のない重症大動脈弁狭窄症など、手術適応につき頭を悩ませる必要のない症例も多々あります。しかしガイドラインに精通していても判断に苦しむ症例も存在します。極端な例を挙げれば、僧帽弁閉鎖不全を伴った低左心機能症例で、心機能の改善のために僧帽弁形成を行った場合、心機能が改善することが多いわけですが、心機能のさらなる悪化を招くこともあるわけです。

また、超高齢者や他臓器障害合併例など、そもそも手術をするべきかどうか悩ましい症例も多々あります。そのような症例においては、外科は最終手段であり、またその存在自体に危険性を内包する治療法であることを銘記して、慎重に適応決定に臨む必要があります。もちろん、逆に積極的に手術を行うべきケースも多々あります。冠動脈疾患では低侵襲治療として冠動脈ステントが全盛ではありますが、Syntax studyなど最新の知見では重症病変であれば外科治療である冠動脈バイパス術のほうが予後がよいという結果も出ております。ステント留置数の世界記録は私が知る限りでは一人の患者に67個入れられたケースがあります。

そうなってから外科に回ってきても、吻合可能箇所が存在しないことは容易に想像され、外科は最終手段といっても、適切なタイミングでの外科介入が望ましいと考えられます。また、無症状の重症僧帽弁閉鎖不全症に対しては、患者背景にもよりますが、Watchful waitingよりも早期の外科介入のほうが予後がよいというデータも集まりつつあります。外科治療の目的は究極的には(1)余命の延長、(2)QOLの改善の二つしかありません。耐術可能かも含めた適応決定の際にはこの原則に立ち返る必要があります。

それでは我々は常に適切な手術適応を決定するに十分な知識と経験を有しているのでしょうか?私は“否”と思います。心臓外科の進歩に伴い適応もより高齢者・重症者へと拡大してきました。また、高齢者・重症者であっても安全に治療ができるように手術手技も低侵襲手術を初めとして様々な方向に発展してきました。そのような持続的な進歩の流れの中で、我々は現状の知識に立ち止まることなく、常に学び続け、また自らの経験を世界中の同業者へ向け発信し情報を共有し、より適切な手術適応を決定できるよう努力する義務があります。

手術手技上の問題というと手先の器用さに目が向きがちですが、私は手術は頭でするものと思っています。どのような手順で手術を進めるべきか、吻合操作の際はどこにどの角度でどの太さの針を刺入すべきか、トラブルが発生した際はどのように対処すべきかなど、すべて経験に裏打ちされた知識の問題です。心臓外科は大動脈遮断時間等の時間的制約が他の領域に比べて大きく、手術のスピード自慢に陥りがちであり、自分にも若干その傾向があることを否定はしませんが、手術はF1レースではないと常に自分を諌めるようにしています。手術は頭でするものではありますが、実際に動かすのは手先ですので、すさまじく不器用であっても困りますが、箸で食事ができる人であれば外科医は十分に勤まると考えています。

もちろん、プロの野球選手が素振りを欠かさないように、卓上トレーニングなどで練習をするのはもちろん必要です。
その意味では、天分として備わった手先の器用さよりも、継続して努力できる資質が外科医には求められているともいえます。以前は手術手技は見て盗むものとされ、中世におけるマイスター制度のごとく、手術室内でのみ習得可能でしたが、今日では教科書、各種ビデオや様々な場所で行われているトレーニング目的のウエットラボ等でも効果的に学べるようになっております。また、しっかりと卓上トレーニングを積んだうえで、助手として指導医の手術を学んだ後に自分で執刀してみると、手術への理解がより深まりその後助手をした際に今まで以上にいろいろな点を学べるものでもあります。また、指導的助手をすることによりさらに手術に対する理解が深くもなります。我々にはそのように相互に努力しあうことにより手術に対する理解を深め、手術手技の精度を向上させていく義務があります。

心臓外科は手術室の中だけでは完結せず、術後の治療、特に集中治療室での治療が非常に重要です。順調にいった手術の後でも、呼吸機能、全身の血管抵抗、循環血液量など、様々なパラメーターがダイナミックに変化し、それに対応した術後管理が行われます。また、手術適応がより高齢者・重症者に向かいつつある近年では、慢性透析例など全身の予備能が低下した症例も多々あり、その場合術後管理はさらに複雑なものとなります。慢性透析例でなくても、術後に一時的な血液透析を必要とする症例もあります。また、薬などで循環動態が保てない場合は、躊躇なくIABPやPCPSなど機械的な循環補助手段を使用しなければなりません。長期の集中治療管理が必要になる場合は栄養などの管理も必要になりますし、また患者さんのリハビリテーションや精神的サポートについても十分な知識が必要となります。

このように、心臓外科の術後管理はそれ自体が一つの独立した診療科となり得るくらい深く広い領域であり、実際欧米では心臓外科術後の専門医が多数存在します。もっともそれは施設の集約化が高度に進んだ地域でのみ可能なコンセプトであり、日本の現状では心臓外科医が自ら術後管理を行います。この分野も継続的に発展してきており、以前では助からなかった命も救えるようになってきております。

しかし私は現状でもまだ不十分であり、今後さらに発展していくべきであると考えています。ここでも我々のより良きものを求めて努力する姿勢が問われています。上記のごとく、私は心臓外科はまだ、そして恐らく永遠に、不完全で発展途上の診療科であり、だからこそやりがいのある仕事であると考えています。自分が手術した患者さんが元気に退院されるときの充実感は言葉では言い表しがたいものがあります。また、自らがまとめた知見を発表し評価されたときは、自分も幾何かは医学の発展に貢献できたと実感できます。自分が教えた後輩の成長により、自分も次世代への継承に役に立ったと思えます。一生を賭けるのに十分値する仕事であると断言できます。

それでは情熱をもって一緒に行動を共にしてくれる若い仲間達の思いに我々はどうこたえるべきでしょうか?以下に私が考える教育のコンセプトを述べます。

140歳までに一人前の心臓外科医に

以前は心臓外科というと施設のトップのみが手術をし、下の先生は助手や術後管理のみを行うといったスタイルが一般的であり、おそらく今日でもそう大きくは変わっていないものと想像します。上述したように、手術を学ぶのに助手経験は必須ですが、それでも自分で執刀して初めて理解できることも多く、またほとんど執刀経験がない状態でどこかの施設の執刀医として転出することは犯罪的であるとすらいえます。心臓外科は患者さんの生死に直結する診療科であり、また学ぶべきことも多いため、トレーニングにある程度時間はかかりますが、我々と行動を共にしてくれる仲間には40歳までに一人前の心臓外科医として機能できるように教育します。我々と日々接する機会の多い旭川医大の関係者の方々にはお分かりいただけると思いますが、私は自分の仲間の先生に積極的に手術を執刀してもらっています。世間一般では心臓外科医のトレーニング環境は、特に機会を得るという点において厳しいですが、私は少なくとも我々と行動を共にしてくれる先生方を必ずHappyにするという覚悟をもって教育に当たります。

2QOLを尊重したトレーニング

私が長年勤務したドイツではよく、”親に殴られて育ったからと言って子どもを殴るべきではない“、と言います。よくわかる例として、スポーツがあります。昔はスポーツのトレーニングには体罰や非科学的な所謂しごきが横行していました。今日では、体罰は完全にはなくなってはいないかと思いますが、それでもだいぶん減ってきたはずですし、しごき的なトレーニングも行われなくなってきました。それでは、選手たちのパフォーマンスはそれに伴い低下してきたのでしょうか?答えは”否“です。現実はむしろ逆で、陸上競技や水泳競技などでは、世界記録は年々更新されてきました。私は心臓外科においてもトレーニングの効率化は図られるべきであり、それは十分可能であると思っています。以前は心臓外科といえば3日に2日は当直とか、非人道的な勤務体制が当たり前でした。若いうちにある程度の期間、病院にどっぷりつかる時期は確かに大切ですが、それにしても3日に2日当直するのが本当に教育的なのかもう一度考え直す必要があります。また、そのような勤務体制は精神的・肉体的な健康にも悪影響を与えます。よく”すべては患者さんのために”、と言われますが、それは患者さんのために医者が死ぬまで働くべきだということではありません。医療従事者といえど、一個の人間であり、また場合によっては妻や夫など大切なパートナーや子供などもいることでしょう。あなたの家族にとり、あなたはあなたの職種が何であれもっとも大切な存在であることを忘れてはいけません。何よりも優先されるべきは勤務する人間の精神的・肉体的健康であり、トレーニングプログラムや勤務体制はそこから逆算して計画されるべきです。この哲学は女性の同僚の結婚・出産についてもあてはまります。現在のところ我々心臓外科部門には女性の仲間はおりませんが、いつの日か新たに入ってくる女性の仲間のために、出産とトレーニングを両立できる体制を築き上げる覚悟です。

3研究マインドを持った外科医の養成

外科の門を叩く人のすべてはいい外科医になりたいと思っていますが、いい研究者になりたいと思って外科に来る人はあまりいないのではないでしょうか?しかし、外科臨床に携わっていくうちに、分かっていないことの多さに驚き、研究によりそれら不明のことを明らかにしたいと思いに至る人は沢山います。私はそういった、自分の知識が万全でないことを知る謙虚さと、分からないことを少しでも解明する探究心を一緒に働く仲間には求めたいと思います。研究に時間を取られることにより臨床の修業がおろそかになるのではと危惧する人もいます。しかし私は、若いうちに研究を行うことにより、15年、20年後に外科医としての深みが形成され、むしろいい外科医になるという目標にとっては好影響を与えると考えています。また、現実問題としては、各種専門医取得のためにある程度の論文数が必須となっている学会は多いですし、学位もあったほうが将来の選択肢が断然広がります。

4海外留学・国内留学を通じ、異なる外科文化を体験する

井の中の蛙大海を知らず、とはよく言いますが、外科医の世界では学会など多施設と触れ合うことも多く、完全な井の中の蛙となることはありません。しかし、そうはいっても哲学や作法など、実際に行ってみなければわからないことも沢山あります。千里の道もローマに通ずと言いますが、外科においては同じ治療上のゴールを目指したものでも様々なアプローチが存在し、唯一絶対の正解は存在しえません。具体的にいうと、旭川医大心臓外科では私の考え方しか学べず、他の正解にたどり着くためのアプローチは学べないことになります。これでは相対的に物事を考える外科医には育ちようがありません。そこで私は、我々と一緒に頑張ってくれる先生方には積極的に多施設での経験を積んでいただきたいと思っています。そこで学んだ考え方、方法を旭川に持ち帰ってもらうことで、留学に行った当人のみならず、旭川医大の更なるレベルアップを図れればと思っております。

以上、長文になりましたが私の教育に関する考え方を述べさせていただきました。若い諸君とともにここ旭川で日本最高レベルの心臓外科を作り上げていきたいと思っております。

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