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現場看護師からの応援メッセージ

 

佐藤こずえ 看護師長(10階西ナースステーション)

2012年3月

 私は、卒後、旭川医科大学病院に就職し6年目で結婚しました。その後、夫の勤務先にある北海道大学病院に就職し、第1子・第2子を出産しました。第1子が小学校に入学することを機に、再び旭川医科大学病院への勤務を希望し、再就職しました。

 北海道大学病院は、保育施設がありましたが、定員人数が少なく、第1子産休後は秋であり、年度途中ということもあって、とても入園できる状況ではなく、自宅近所の保育園に預けることにしました。札幌市には、頼りになるのは夫だけで、2人で協力しないと何も進まない状態でした。時間のやりくり・育児・家事などを話し合い、本当に頑張ったと思います。しかし、突然の発熱や感染症には2人では対応できないこともあり、実家の母(旭川市在住)に早朝、電話をして応援にきてもらい、母が到着後に勤務に出ることもしばしばありました。また、子供達は中耳炎・気管支炎などで入院することも数回ありました。第1子がアレルギー性紫斑病に罹患したときは、自分の勤め先で入院加療し、私も付き添い、ほとんど病院で過ごした時期もありました。夫は時々、付き添いを交代してくれ、実家では第2子を預かってくれました。職場の方達にも協力してもらい、今の自分達家族があるのだと思います。

 旭川市には、実家があり、心強く働けていますが、再就職して驚いたことは、育児中の看護師への環境が大きく変化していたことです。保育施設、バックアップナース、病後児保育園、病児一時預かり施設など、札幌市在住のときに求めていた、子供が病気になったときの休めるのか・休んでいいのか、という思いが解決できる環境となっていました。この環境で働けるスタッフは、とても幸せだと思います。どんどん利用して気兼ねなく働いて欲しいと思います。

 結婚し、子育てをしながら働くことは、一見大変なことのように思います。しかし、全ては自分で決断したことであると私は思います。そして、大変なら辞めることもいつでもできるのです。子育ては子供を産んでしまえば、その子供が自立するまで続きます。私は、子供達が生まれたときは「幼児になれば楽になるかな」と思い、幼児になれば「小学生になれば楽になるかな」と思っていました。2人とも小学生になった今は、全然、楽ではなく、むしろ今までより手がかかります。子供はその年齢においていつも親の関わりが必要だということです。

 私は、第1子は産後休暇後に第2子は1歳までの育児休暇後に復職しました。仕事と育児の両立は楽しいことばかりではありませんでしたが、先ほど述べたように、決めたのは私である、という点と、ここまでやる、というボーダーラインを常に持っているのが、ストレスなく今の状態を続けられている要因だと思います。決して無理はしません。母親が悩み迷うと子供達も不安定になります。私達家族は子供達に対して正直に気持ちを打ち明け接しています。悩んだら、子供に解るように相談しています。そうすると子供なりの答えがきちんとあります。以前、保育園の送迎に時間がかかり、イライラしていると「1人ではできないことがあるって父ちゃんが言ってたよ」と子供に言われたときには、つい笑ってしまい、気持ちのガス抜きができたことがありました。最近は「いつ当直なの?父ちゃんと男3人で過ごしたいんだよね」と言うこともあり、私の勤務を利用して父親とのコミュニケーションを図っているときもあります。他にも子供の視点での言動にはっとさせられることもあります。子供と過ごす時間は、他の母親に比べると、ずっと少ないと思います。しかし、その時間を内容の濃いものにしていきたいと思います。今の私を見て、母親が好きと言い、母親が看護師であることを友達に嬉しそうに話している姿を見ると、仕事を続けてきて良かったと思います。そして、子供達も私達親も、両親が働いていることで家族は皆で協力し合い、助け合うことや感謝の気持ちを述べることの大切さも学べたと思います。